↑モエレ沼公園(春)
↑広島で立ち寄った公園(秋)
(言ってて恥ずかしい気持ちはひとまず横へ、) ことについて考える、、、
一人一人にとって美しいものにふれることは心地よく、その機会を日々追い求めている思う。もちろん、その一人一人にとって美しく感じる、または追い求める対象は異なる。たとえば、郊外に広がる豊かな自然であったり、巧みな職人が手がけた作品であったり、または街中やお店で偶然出会う人であったり、自分が美しいと感じるものに出会う心地良さは、何とも言えないホントいい心地です。最近、それは人にとって生きていくうえで、とても必要な栄養のように感じる。そして人にとって美しいとはどういうことか、どうすれば自分の考える住まいの身近にふくむことができるのか考えるようになった。そこで、私が勝手に師匠している(以前、ブログでご紹介したイサムノグチ氏を含め、あと勝手に師匠が10人以上はいますが)藤森照信氏が「建築史的モンダイ」という著書の中で、わたくしの漠然とした気持ちをかたちにした解釈を提示していますのでご紹介します。
□美しいこと□ → □視覚的な秩序があること□
「美しい建築が心地いいのは、形と材料に秩序があり、その建築的秩序があたりの環境とも統一を保っているからだ」
~中略~
「人間が感ずる視覚的な秩序や統一感とは、もともと自然界の状態が元にあり、その状態を認識
する中から生まれた、と考えているからだ。自然界には長い間に、おそらくそれは地球の歴史とか、生命の進化とか、そういう長い間のあれこれをくぐり抜けて形作られたバランス状態があるはずで、そのバランスが保たれている状態を前にすると、人間はおそらく美しいと感じるのだ。自然界の見えざる秩序や統一を、人の目は美しいと感じたのである。」
~中略~
バランスが保たれている野や山や川の光景を眺めた時、人類は、美しさを覚え、安心した。いや逆に安心した時の視覚的印象を美と名付けたのだろう。」そういうもののうつくしさを探していこうと思う。
↑広島で立ち寄った公園 2(秋)。